実習用献体
ロサンゼルスからこんにちは。
日本は桃の節句、ひなまつりなのだという事さえ、忘れ去っているなさけない自分です。今日、日系スーパーで買い物をしている時、ふと、桜餅の甘い香りが漂ってきました。一瞬、「わあ、なつかしい匂い。何?」と思い、次の瞬間、紅色の桜餅が目に入ってきました。そうか、日本はひな祭りなのだ。
発砲スチロールに4つ、きれいに並んでラップされた桜餅を、思わず手にとり、ふんわりとなつかしい気持ちになりました。赤い毛氈のおひな様、もう何年も見ていない。その昔、私が生まれ育った家では、押し入れから出すおひな様一式を見る度、妙に胸が高鳴っていたのに。
季節のない街、ロサンゼルスに住んで14年。多忙な日々に流されながら、日本人でありながら、日本人からちょっと遠くなっている自分を、時折寂しく思う今日このごろです。
今月の話題。実習用献体
ネバダ州のラスベガスで、全米規模の大きな獣医学会が開催された。全米から1万人もの臨床獣医師が集まり、大動物、小動物、エキゾチック動物など、広範囲に渡るセミナーと実習ラボが行われる。毎年恒例のイベントである。
新卒であっても、熟年ドクターであっても、まして経験何十年のベテラン獣医師であっても、臨床医はいつも学んでいなくてはいけない。医学は、毎年、いや毎月のように目まぐるしく成長している。昨日まで当然であった治療法がもう、今日は受け入れられない方法になる。昨日までこの方法でアプローチをしていた手術が、今日はこっちからアプローチする。新しいウイルスが、病気がどんどん入ってくる。より細かく洗練された診断方法が次々と実用化する。
だからこそ、臨床は面白いのだと感じている。毎日同じことの繰り返しをしていたら、次第に飽きてしまう。
目まぐるしく進歩する医療を、波に乗るようにうまく勉強して、取り入れて、身に付けてゆく。サーフィンを楽しむ要領。だから楽しいのだ。
そんな山のようなセミナーを、朝早くから夜遅くまで、息つく間もなく、まじめに聴講してきた。慌ただしい日常の診療から離れ、一人座って講義に熱中する、というのは、悪くはない。気分転換にもなるし、私はセミナーが大好きである。
今回は外科手術のラボ(実習)にも参加した。最新の関節手術のテクニックを学ぶためのものであった。
実習には、シェルターで安楽死された犬の死体を、献体として使わせてもらった。
誤解のないように言っておくが、これはシェルターからの犬の払い下げとは異なる。払い下げとは、生きている動物を、研究所などが引き取り、飼育し、研究目的で使用することを言う。
死体の献体は、あくまでも、死体である。本来シェルターで安楽死されたのち、消却されてしまう死体である。死体を実習用に引き取り、ドクターたちが外科の練習に使用し、そののちに、シェルターに持ち帰り消却するのである。
アメリカでは、多くの獣医大や、セミナー実習で、死体の献体を用いている。
そしてアメリカでは、シェルターから生きた動物を、研究施設に払い下げをするのは、動物愛護法で禁止されている。
1匹の見知らぬ犬の死体の前に立ち、私はメスを握った。
股関節、膝関節、肘関節など、ひとつひとつ丁寧に切り、テクニックを学ぶ。犬は冷たく、血の気はなく、筋肉も関節も乾燥していた。
私はふと、犬の顔を見た。
穏やかな死に顔であった。目は半分閉じて、口は軽く閉じている。
歯からすると、まだ2歳くらいの若いメス犬である。毛並みもきれいだし、痩せてもいなかった。
足の裏のパッドは、ピンク色こそしていなかったが、まだふんわりとした柔らかさが残っていた。
一度は、人間に愛された犬に違いないと感じた。
この犬はどんな運命で、シェルターにたどり着き、安楽死になったのか、全くわからない。大切に飼われていた犬が、逃亡し、シェルターに保護されたのかもしれない。
飼い主が、自ら連れて来たのかもしれない。引っ越すから、妊娠したから。吠えるから、という理由で。
ただ、若い犬のあまりにも短い一生を思うと、胸が痛んだ。
そして、こうやってシェルターで安楽死される犬が、毎年何百万匹と存在する事実を、改めて、実感した。
この若い犬の短い一生を、せめて、少しでも有意義に使いたいと思い、私は一生懸命、外科テクニックを学ぶことに集中した。そうでもしないと、やりきれなかった。
私の隣の犬は、アメリカンピットブルであった。
耳は断耳されて、ピンととんがった形をしていた。
去勢はされていなかった。
ひどく痩せて、あばら骨ががりがりに浮き出ていた。
ものすごい量の歯石が歯に付着していた。
顔面にいくつか、古い傷跡があった。
この犬の一生は、おそらく平穏ではなかっただろう。断耳をする人は、犬を闘犬目的で飼う人か、あるいは、治安の悪い所に住んでいる人。どう猛で人を襲うタイプの犬に魅力を感じる人たちである。
麻酔をかけて、耳たぶを半分切るという手術をしながら、去勢はしない。
断耳手術は、あくまでも美容目的。人間のエゴによって行われる手術である。
そして明らかに、十分な食事も、ケアも与えられていなかった犬。
痩せこけて、何らかの理由でシェルターにたどり着き、安楽死となったのだろう。
いったいこの犬は、人間を尊敬したのだろうか。一度でも飼い主を信頼して、しっぽを振ったことがあるのだろうか。
アメリカでは、安楽死はほとんどの場合、注射で行われる。
麻酔薬と同種類の薬物を血管内に投与して、動物を死に至らしめる。
動物はまず眠るように意識を失い、その数十秒後に心停止する。
それゆえ、安楽であると言われている。
日本の保健所の場合、ほとんどがガス室による処分である。
二酸化炭素か一酸化炭素を用いることが多い。
この場合、動物はまだ意識があるうちに、呼吸困難に陥る。息が苦しくなり、呼吸が思うようにでいなくなり、脳が酸欠状態になり、そこで始めて失神、意識消失となる。
私はガス室で処分された犬を見たことがある。
口が大きく開き、目も丸くむき出していた。
窒息死と同様なのだから、当然と言える。
ガス室で死亡した動物は、苦しみながら死ぬ。
死体の顔に、歴然とした差がある。
カリフォルニア州では、ガス室による殺処分は法律で禁止されている。
安楽死とは認められていないのだ。
それが日本では、当たり前に行われている。
天命を全うせず、シェルターや保健所で処分される犬、猫たち。
なぜ殺されなくてはならないのか。
ペットの数が余っているからである。
飼ってくれる人間の数よりも、圧倒的に多くの犬猫が、毎年生まれているのである。
飼い主がいない以上、誰かがどこかで処分しなくてはならない。
そこが保健所であり、アニマルシェルター。
安楽死なんか本当はしたくない。安楽死なんか無くなればどんなによいだろう。
誰だって、動物を殺したくなんかない。
でも、
安楽死、殺処分は今日、明日になくなるものではない。
行政、動物保護団体、市民ひとりひとり、法律家、獣医、動物産業関係者、その他多くの人が協力して、少しづつ少しづつ、改善しなくてはならない。
いつか、動物を殺処分しなくてもよい、世の中になるだろうか。
5年とは言わない。10年とは言わない。
でも、私が生きているうちに、それは実現できるだろうか。
だとしたら、せめてその日が来るまで、処分される動物たちを、やすらかに逝かせてあげたい。
せめて安らかに、眠らせてあげたい。
それが私たち人間の、義務に違いない。
冷たい犬の関節を糸で縫合しながら、私は心の底からそう思った。